体を揺らすだけで「マインドフルネス」を実践
テクノロジーと瞑想ね〜
得たい感覚を機械を通して得るということ自体に??疑問は生じてしまう。
瞑想って正解がないものだと思っているのに
アプリに瞑想へ誘導し着地点というか探し出せるのであろうか。
瞑想アプリ「Sway」が、「動きに集中しましょう」と指示を出してきた。体を揺らすリズムが、いつの間にか速くなっていたようだ。その数分後、うっかりうとうとしかけると、今度は「遅すぎます」と注意された。動きを5分間繰り返すと、優しいチャイム音とともに通知がきた。その日の目標を達成したという知らせだ。
このように機会に指導されるのはなんともおかしな感じ。
ただ、瞑想には指導者は必要だと思う。
わたしも何度もトライするがこれがフローかなと思うのはほんの数回。
ほとんどの瞑想は寝てしまうか
雑念がとめどなく襲ってきて収拾がつかなくってしまう。
それでも何度もトライするのは
そのこれかな?を経験した人はその心地よさに
もう一度体験したい、あの状態をまた引っ張り出したいと快感を覚えてしまっているから。
わたしが考えるのはそれは瞑想か否かってこと。
あの状態がマインドフルネスなのかどうかもわからないのに
感覚を求めてやるってことは
結局瞑想って気持ちがよくなるものだから、快楽を得るために求めてしまうのであろうと。
もちろん、頭がすっきりしたり、心がすかっとするのはとてもウエルカムな状態であるが、
自分の内面の奥深さを自身で突き詰めたい。
決してそれが想像した形でなくとも。
ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス [ 相川圭子 ]
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