自動運転の実現は、わたしに言わせれば30年「も」かかってしまった

金出武雄|Takeo Kanade さん1945年生まれ。

──1974年、博士論文としてコンピューターによる人間の顔認識システムに関する「世界初」の論文を発表した金出さん。

確かに今ようやく顔認識が実用化された社会になりつつあるが、

きっと当時想像した社会はもっと早く実現するだろうと考えていらっしゃったようです。

確かに人が想像できることは人間は実現できるそうなので、

それが出来るかではなく、いつ出来るかなんですね。

今突拍子もないと思っていることも、自分が想像を超えるスピードで現実化する時代です。

──2014年、ほぼ35年振りに日本に居を構えられましたね。日本の社会、あるいは研究界を改めて目の当たりにされて、気づかれたことはありますか。

社会全体としては「実現可能性」について強く言いすぎ、一方で基礎研究の分野で技術の「社会的価値」が軽視されがちです。基礎研究に重きが置かれず研究資金がまわってこない、という近年の議論がありましたが、では本来あるべき基礎研究が積極的になされているかといわれれば、疑問を抱きます。

このことについてはノーベル賞をとった大隈博士も同じようなことを話されていましたね。

研究者にとっては実現可能か、社会に還元できるか、役に立つかは二の次。

結果が早く得られる、得やすいジャンルばかりに集中すると

本来の目的を逸してしまうそのようなことを仰っていました。

わたしは技術の基礎理論の進化論と言っているのですが、重要な応用や問題などに対して、手探りで築いた能力や解法を説明するのが「ヴァージョン0」。その意義をより発展させたり、もっと広範に役立つ理論に進化させるのが「ヴァージョン1」。そして、ヴァージョン1の理論の部分的な仮定や条件を変えていくだけの活動が「ヴァージョン2」です。

いま基礎研究とされているものには、このヴァージョン2、すなわち既存の論文の一部を操作しただけの見せかけの基礎研究が多すぎる。それは理論研究というより論文のヴァリエーションを増やしているにすぎません。もっと新しい能力を発揮し「社会的価値」を生み出す、ヴァージョン0と1の「真の基礎研究」がもっと増えていってほしいですね。

ゼロからやるよりも

見た目が盛りやすそうな案件をやるってことでしょうか。

研究者も月給取得なら、目先の果実を取りに言ってしまうのもわかります。

それが故に

そんなことを氣にせずに本質を終える研究が出来る環境を揃えてあげることが

結果として社会の発展につながるのでしょうね。

日本の技術者が海外に流出するのは悲しい。

今の企業は短期的な成果を求め評価もしますが

長期的計画によって社会を支えることにも貢献してもらいたいです。

車の自動化は急いで欲しい。

運転が危ない高齢者を見るのが日に日に多くなっている気がします。。

ご本人のためにも周りの人のためにも車を安全に走れる社会をお願いします。

過疎化や高齢化が進んで車がないと生活出来ない地域の方も

自動車自動化で便利になるかもしれませんね。