「読書って人生の役に立つんですか?」大学生の疑問に賛否両論!
ネット社会になると
わざわざ紙の本を買う必要があるのか、
そもそも本を読む必要があるのかという疑問にたどり着くようだ。
わたしが読書を勧める理由は
頭のなかで自由に制作できるからだ。
キャスティングも声優も音楽も背景もロケ地もすべてわたしの自由だ。
よく漫画のアニメ化で声優さんの声が好評不評というのは
それぞれの脳内で声ができているが故に
マッチング、アンマッチが発生するのだと思う。
なので、わたしは原作がある映画はあまり好きではない。
どうしても映像の力が強すぎて
自分の想像で作り上げた創造物がすげ変わってしまうからだ。
記事の中にも似たような箇所があります。
著者はかつて伊藤忠商事の社長であり、現在は日本中国友好協会の会長でビジネス界きっての読書家である丹羽宇一郎氏。「本を読まない日はない」という丹羽氏は、読書は「真に自由な世界へと導いてくれるもの」だと語る。
本を読むことは「自分で考える力」を培ってくれる。それは自分の軸を持つことであり、この軸がなければ、つねに与えられた物の中で空気を読みながら、人に流されて暮らすしかない。そんな「精神的な不自由」から、読書は人を自由にしてくれるものだという。
脳の中は自由だ。
結婚することも結婚しないことも
子どもを持つことも持たないことも
不倫をしても、不倫をしなくても
常に主人公は自分で、いろんなものを自分で作ることができる。
文字を追っているだけなのに、
ドキドキしたり、憤ったり、泣いたり、苦しかったり。
それは文字の効能よりも想像力の賜物である。
脳の中で文字から映像を作り上げているのだ。
その映像を見ているので、
ドキドキしたり、憤ったりする。
おそらく、読書量が足りないとこの想像力が欠如するので
感受性が欠如して、人の痛みとか悲しみとか、相手の身になって考えるということが出来なくなるのかもしれない。
人生はリアルタイムで動いているわけで
要約だけ読んでも要領よく行きていけるわけじゃない。
どんなに本を読んで経験している気持ちになっても
経験するときはすべて初体験なので、
読んだこととと経験は違う。
そして、その違いにおいて、同じように感じたか違うように感じたかをたのしめるのが素晴らしいと思う。
「教養を磨ける」というのも、読書の効用の一つだ。丹羽氏の考える「教養」は知識の量ではなく、「自分が知らないことを知っている」ことと、「相手の立場に立ってものごとを考えられる」ことの2つが条件だという。
高学歴の母親が「この子はバカでどうしようもない」と、自分の子供の目の前で言っているのを見たことがあるという丹羽氏は「この母親は無教養です。その言葉が子どもの心にグサリと刺さることを想像できない」と語る。この母親、頭はいいかもしれないが、「教養はない」のだ。
読書だけではなく、「仕事」と「人」。その3つが相互に繋がって、教養は磨かれていくという。
子どもだって傷つくんだってことを想像できないこと
それが教養がないということ。
なるほど。
ちょっと愚痴になってしまいますが、
病院で子供の診療にきた母親がずっとスマホでゲームとかLINEをしている。
子どもが呼ばれたら母親もついていって先生の説明を聞くのが
わたしの中では当たり前なのだが、
子供だけを診察室に行かせる。
「呼ばれてるよ、はやく行けよーー、」
そのときに一度も子供の顔を見ない。
ずっとスマホから目を離さずに、行ってこいと乱暴な言葉で促している。
自分がその対応をされて嬉しいとおもうだろうか、
医師という大人の前に出る子供の不安な気持ちは理解できないのだろうか。
と思ったもんです。
その子どもがたくさん本を読んで自分なりの教養をしっかりと身につけてほしいと思った次第です。
みんなで本を読もう!!!
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